ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

第82回都市対抗野球・11日目 決勝

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やはりか。やはり小石兄貴と十亀君だったか。なんという西武得。
それにしても…すごい試合だった。本当にいい試合だった。毎日新聞の速報で追っていただけですが…文字だけなのにアツくなってしまった。見たかった…
JR東日本NTT東日本もお疲れ様でした。そして本当にありがとう。
すみません、言いたいことがうまく言葉にできないので…簡単な言葉ですがご勘弁を。
そしておめでとう!JR東日本
以下、記事とか個人賞をちょこちょこまとめ。
個人賞は以下のとおり。

橋戸賞:松本晃(JR東日本)
敢闘賞(久慈賞):小石博孝(NTT東日本)
特別賞(小野賞):森内壽春(JR東日本東北)
特別賞:JR東日本東北チーム
首位打者:安田尚造(JR東日本東北)
若獅子賞:石岡諒太(JR東日本)

橋戸賞(最優秀選手賞)は東京都・JR東日本の松本晃外野手が選ばれ、プレゼンターは第36回大会(65年)で同賞を受賞した小弓場(こゆば)保氏が務めた。久慈賞(敢闘賞)は東京都・NTT東日本の小石博孝投手が選ばれた。首位打者賞は打率4割1分2厘(17打数7安打)の仙台市JR東日本東北の安田尚造外野手。目覚ましい活躍を見せたチームや個人に贈られる小野賞は1回戦の横浜市三菱重工横浜戦で、54年ぶり2人目となる完全試合を達成した仙台市JR東日本東北の森内寿春投手に決まった。また、東日本大震災の被災地というハンディを抱えての出場ながら、初のベスト4入りを果たした仙台市JR東日本東北には「がんばろう!日本特別賞」が贈られた。若獅子賞(新人賞)は東京都・JR東日本の石岡諒太内野手。打撃賞は該当者がなかった。

サヨナラの場面を「監督から『お前に任せた』と言われたので、自分が決めないと、と思って打席に立った。思い切って振った」と4番の責任を負ってのこん身の一振りだったとし、7回の本塁打は「何とか塁に出ようと振り抜いたら最高の結果になった」と語る。

第82回都市対抗野球大会毎日新聞社日本野球連盟主催)最終日の1日、優勝した東京都・JR東日本のベンチに、松葉づえをついた斎藤達則主将(27)の姿があった。今大会の試合中に脚を負傷し、戦線を離脱。しかし、悔しさを表に出さず、先頭に立って選手を鼓舞し続けた。「主将のけががチームを一つにした」。同僚らは、主将のためにも初優勝をつかもうと、心を一つにしてプレーした。
 浜松市ヤマハと対戦した10月29日の2回戦。二回、走者として三塁を回った直後、左太ももに激痛が走った。その場で倒れ込み、立ち上がれず担架で運ばれて退場、診察の結果は肉離れだった。以後は毎試合、ベンチに入ったが、出場することはなかった。
 主将を任されたのは09年。チームが5年ぶりに都市対抗の本大会出場を逃した時だった。チームでいつも一番遅くまで練習し、スタンドに入るファウルボールも全力で追いかける。堀井哲也監督(49)は「何事もあきらめず、食らいつく。チームに一番必要な姿勢を示している」と話す。
 昨年の都市対抗ではチームは2回戦負け。「今年こそ優勝を」と臨んだ試合での主将のけがだっただけに、チームは奮起した。
 新人で斎藤主将の代役を務めた石岡諒太選手(19)は2回戦で3三振を喫した。試合後一人でロッカールームで悔し泣きしていたところを斎藤主将に声をかけられた。「泣くな。次打てばいいだろう」。石岡選手は準決勝では適時二塁打を放つなど活躍した。30日の準々決勝の広島市三菱重工広島戦では、小高幸一投手(28)が、九回二死まで無安打無得点の好投をみせた。
 斎藤主将と仲がいい木本徹選手(26)は「誰よりも優勝したいと思っていた主将のけががきっかけで、チームの結束はより強くなった」と話す。
 「チームは一戦一戦、成長した」と斎藤主将は今大会を振り返った。逆境でも、目標に向かって団結することの大切さを、チームは見せた。【和田浩幸、石戸諭】