ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

あれはもう、7年も前のことだった

本日各紙を賑わせたトレードの話ですが、
hochi.news
ネタ的にこの記事が一番好みだったので、これのリンクを貼ります。いやぁ、趣味のことはちょいちょい話題には上がってるけど、大学時代から知ってるもんだから、意外だなぁってのが拭えなくてですね。
んで、この記事に限ったことではないのですが、高梨君の話になると、

 その名が球界にとどろいたのは、早大3年だった13年4月。東大戦で、1925年の東京六大学野球創設以来、リーグ史上3人目となる完全試合を達成した。埼玉の私立・川越東から大学野球の名門・早大に進学。1年春から登板し、1年秋に5勝、2年春に4勝を挙げるなど、チームの中心選手に成長し、完全試合まで成し遂げた。

 だが、その後は苦しい時期が続いた。完全試合後は、左肩痛などがあり、まさかの白星なし。3年秋以降は、1勝も挙げることができなかった。

この件がよく記事に書かれますよね。
私は彼が苦しんでいるところをリアルタイムで横目で見ていたクチなのですが(真正面から見ていないのは、違う選手を見ていたからです。2013年って私が追いかけていた選手が神宮にいたって言えばまぁ、察してもらえるかと)、そう考えると、この写真って結構ショッキングというか、

よくもまぁ、こんな起用のされ方をしていたところから復活したな、という感慨深さがあります。でもこの頃の六大学って、エース級の投手が野手として、打順もそこそこ良いところに起用されてるって割とありましたよね(東大を見ながら)


※この写真の状況が飲み込めない方向けに軽く解説すると、この試合高梨君がファーストでスタメンでした。マウンドにいるのは、現日ハムの有原君です。後でリンクしくってるのに気づいてこっそり直しました…



そしてこんな試合を見ていたりもして、
bladecatcher.hatenadiary.jp
もう、この選手はダメなのかな、と思ったりもしていました。しかしこの試合、相手の法政側もよく知られる名前が多いですね。
だからこそ、ENEOSに入団が決まったと知った時は嬉しくなり(あれでは社会人で続けるのも厳しいだろうと思ってた)、プロ野球選手になって、しかも侍ジャパンに選ばれるほどの選手になったと知った時には、ただただ驚いたというか……あの頃苦しかったのが、報われてよかったなとしみじみ思います。


トレードされるのが良いことか悪いことか、今は判断ができませんが、トレードで名が挙がるということは、選手としてそれなりの評価を得たという証拠の一つでもありましょう。
まだまだ、見守っていきたい選手ですね。