ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

何のために貢ぎ、尽くすか

hochi.news

「お前は何か返してもらおうと思って応援してるのか? 勘違いするな。応援というのは無償のものだ。応援したいから応援する。それだけだろ。恩着せがましい。気持ち悪いよ。きめーよ」

バレットクラブのKENTA君の言葉なのでひっじょーに口が悪いけど、まぁその通りよね。
応援というのは無償のもので、見返りは全くないかもしれない。
見返りどころか、自分が応援したからといって、その人が活躍するとは限らない。全く活躍できず、光の当たる場所に立つこともなく去る可能性だってある。もしかしたら、ひょっとしたら、最高のステージで活躍する姿を見せてくれるという見返りをくれるかもしれないけれども。
前も何かで書きましたが、応援とはファンの自己満足にすぎないのでは、と思わざるを得ない側面が大きいと思うのです。応援したから打率が1割アップするとか、飛距離がアップするとか、そういうわかりやすい効果があるならともかく、現実にそんなものはありませんから。あるなら誰か数字で証明してくれ。


応援という行為に対し、自分の方を見てくれるとか、手を振ってくれるとか、直接言葉をくれるという見返りを求めるのは、間違いだと思います。っていうか、そんなもんが欲しくて選手の、好きな対象のケツを追っかけてるのかい?ってアレはあるよね。
そんなの耐えられない!と思った人は、スポーツ選手の応援には向いていません。そういうのが欲しかったら、別なコミュニティに行くべきなんじゃないかな。形はどうあれ「応援」した分、そういう形で応えてくれるコンテンツってあると思うので。少なくともスポーツは、そういうものではないと思います。プロとかアマチュアとか関係なく。


ちなみにだけど(隙自語)、BladeCatcherは約数年の間、一人の選手を追いかけて、いい試合を見せてもらったことがあるよ。でもそのいい試合って、数字で表したら多分両手で数えるくらい行くかどうかだよ。そもそもその選手はレギュラーじゃなかったから、プレーする姿を見れるだけでも割とレアなんじゃないかって感じの選手だよ。
見返りとしては、約数年という時間に対して、すごく小さいものかもしれないよ。それでも、私はこの目でその姿を見れて、それはそれは幸せだったさ。
応援とは、いつかこんな小さな幸せが来ることを祈り、もしも幸せが訪れたら噛み締めるためにある行為なのかもしれないね。
祈りが届かなかったら?幸せが訪れなかったら?―――それはそれで、いい思い出なんじゃないかな。
誰かのファンを長年やり続けて後悔した、みたいなことを言う人は、私は知らないな。少なくとも、私はそうは思っていない。