ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

ちょっと思ったことを書く

ネットに常時触れる者として。


話題のニュースを見ていた時、非常に生々しい写真がうpされているのを見つけた。これが個人アカウントのブログやSNSだったらまだしも(それでもどうかと思うけど)、よりによってヤフーニュースとかいう万人の目に触れられる可能性の高いサイトだった。しかも、アクセスランキングの上のほうに位置している記事の写真だった。
その写真には当人の表情がかなりはっきりと写っており、よく見ると血痕も見えた。撮影された当時どうだったかはわからないが、既に最悪の事態になっていた可能性もあると思う。
あの写真を、人によっては「臨場感がある」ととらえるかもしれない。でも私は真っ先に「これはあかんやつや」という印象を受けた。


まず、ここまでの文章からお察しの通り、非常にショッキングな画であること。
これを見て、東日本大震災の映像を見て精神的に不安定になる人がいることを思い出し、かなり精神を揺さぶられる可能性があるなと思った。一応寛解している私でも「うっ…!」となったから、そういうのに敏感な人は結構参ってしまったのではないかと思う。
もう一つが、この写真をアップした記者・新聞社のデリカシーの無さ。
この時点での生死は不明だけど、あんな表情を撮られても大丈夫なんて精神の持ち主は滅多にいないと思う。公人だから撮られてもしょうがないよね、じゃない。出すなとまでは言わないけど、脊髄反射の速報で出していい写真だったのか疑問である。
今となっては当人は亡くなってしまったが、こんな写真を全世界に晒されるのは嫌だろうし、身内の方だって不快になるだろう。表立って嫌だと言わなかったとしても、別にいいっすよなんて言う人がいないなんて、想像ぐらいできるだろう。
…ってなことが想像つかないのか、と思ってしまう。マスコミだからな、そういう、他人の心情を慮るってのがないのかな。


私もブログに他人の表情を撮影したものをうpしている身だけど、うpする前に「本人が不快に思わないか」をすごく気にする。
他人が見るといい表情だ、という風に見える写真でも、本人はこの姿を晒されるの嫌なんじゃないかな、という感覚が一瞬でもチラついたら、その写真は封印し、見なかったことにしている。
いちいちそういうことしてんの?と思われるかもしれないけど、それは私自身が、他人が勝手に選んだ無様な写真が、大多数の目に留まるような場所に載せられて晒されたという思いをしたからである。具体的には、小学校の卒アルに馬鹿面を晒されたんだ。集合写真に小さく写ってるとかではなく、私一人を完全に抜いた写真だった。卒アルを貰った直後、その写真の私の顔は完全に塗り潰したし、それから写真を撮られることが大嫌いになった。プリクラも嫌い。入館証の写真を撮るのさえ不愉快。


ネットリテラシーが低いというと、書き込み内容とか文章面を指すことが多いと思うけど、画像周りのネットリテラシーも大分低いよな。
あの画像を見て、ふとケネディ暗殺の映像を思い出したけど……後々歴史的な瞬間が云々、とかなるのかもしれないけど、それでも……なんか多角的な意味で配慮的なものが必要だよな。
ネットに関しては「嫌なら見るな」だと思っているけど、ネットがあまりにも身近すぎる世の中になってしまった今、強制的に目に入るようになってしまっているのはどうなのかな。あんまり考えすぎると規制だらけになって、それはそれで窮屈で面倒になるなというのも目に見えているけど。
せめて一個人として「配慮する」という精神だけは忘れないようにしたいな。そういう精神を持つ人が集合していけばいいのだけれど。


何事もそうだけど「他の人はこう感じるかも」みたいな想像力が欠落しているなって感じの人が最近多い気がするな。という話を人にすると「考えすぎ」って毎回言われる。
「こいつデリカシーがねえな」って思われるよりは遥かにましだと思うけどな。