ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

15年の時は長かった

number.bunshun.jp
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見出しだけ見て「どうせ高森の記事だろ」と思ってアクセスしたら、本当に高森の記事だった(爆)
だって高森はKJガチ勢だもん、野球のライターを名乗る者は数多いるだろうが、KJの引退に関する記事を書くのにふさわしいライターは高森しかおらんよ。
bladecatcher.hatenadiary.jp
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しかしKJガチ勢として、入団同期として、高森が引き出したKJの言葉は変な飾りがないというか………KJも相手が高森だからこそ、こういうことを語ったんだろうな、みたいなものを感じる。こういう言葉は並のライターでは引き出せないと思う。


彼らが若かりし頃、それこそ横須賀で扱かれていた時代に足繁く横須賀に通っていた者としては、この辺の言葉にグッと来た。

「今さ、子どもが道を飛び出しそうになって『危ない!』って言いながら俺、走れないんだよ。それってさ、野球選手とか以前の問題やん。それに、そんな選手が外野の守備についているなんて、ピッチャーに失礼だよ。そういう選手は、グラウンドにいるべきじゃない。そうやって、万永さんに教わっただろ――」

「お前よりも、3倍も長くプロ野球選手やったけど、一番の思い出は、お前と横須賀で死ぬほど練習したことだな。田代(富雄)さんがいて、とっつあん(高木由一、元ベイスターズコーチ)がいて、万永さんがいて。

 本当に朝から夜まで、あんなに練習させてもらってさ。あんな練習、今だったら絶対やらせてもらえないよな。絶対に、戻りたくはないけどな。あんなキツいこと、もう二度とできない。でも、最初に入った球団が横浜で、本当に良かった」

「ありがたいお話もいただいた。でも、俺にとってコーチって、万永さんなんよ。今、俺は当時の万永さんの年齢になった。来年から18歳のルーキー相手に、万永さんが俺たちに向き合ってくれたあの熱量で、あれだけの多くの時間向き合えるかと問われたら、とてもできない。その足りない熱は、どこかで選手に見抜かれる。それは、人生を賭けて勝負しようとしている選手に、失礼。だから、俺はコーチを受けられなかった」

泣くよこんなん。こんな言葉真顔で読み流せないよ。


あの頃の横浜を見ていて、このチームにいる選手は、ドラフトで指名されてしまった選手は不幸だ、と思っていた。そりゃあ勿論、ベイスターズというチームにいながら、あの頃の選手たちに上位に行ってほしい気持ちはあったけども。
そして、あのチームに砂をかけて辞めていった選手も多かった。その気持ちはわからなくはなかったけど、落ち込んだ。
良くなる未来が見えないチームを見守り続ける気力を失って、私はベイスターズファンを自称することをやめた。
それから15年の時が経った。
選手本人からこういう言葉を聞くと―――あの時代は(少なくともファン目線では)クソだったと思うけど、そんな時代でも選手の礎になったんだと。2024年の今からでもいいからあの時代を振り返ってみて、良かったと思えたなら、あの時代の亡霊である私は救われる、と。


しかしこれで、KJが引退することで、あのTBS時代を知る現役の選手は、もうほとんどいないんじゃないかな。ざっと見たけど、現役の選手で言うたら田中健二朗筒香ぐらいだろうか。
KJが横浜に入団したのだって、もう18年も前の話だ。あの時代は遠くなりにけり、よ。






という記事を昼に書いて、夜の第6戦を見てからうpしようと思ってたのですが、日本一になっちゃったよ……そうか…そうか……こりゃあ、週明け出勤したら職場が祭りになってそうだ(今のPJ割と野球好きと横浜ファンが多い)優勝の瞬間を見て「広畑とNTT西日本かぁ、近畿だな」などと思ったりはした。うん。
私はもうベイスターズファンを名乗っていないのでアレですが、ただただおめでとうと、そう思いました。選手に声かけてる南場オーナーがホンマにお母さんみたいだった。
で、中継見てたら万永コーチの姿がちらっと映ってさ、この記事を思い出して、俺ァもう目の辺りがボロボロですよ…