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この「確執」について解説している記事がなかったので、私の認識しているレベルで喋る。まぁ、何があったか書くと、死人に鞭を打つようでアレなんだろうから敢えて書いていないだけだろうけど。藤波が根に持ってないっても言ってるし。
2000年代の半ばか後半ぐらいに、藤波と西村は新日本を退団して、無我という団体を立ち上げたのですが、なんか色々あって西村は無我を離脱。この時、西村が無我の諸々の権利を持っていってしまったので(ついでに征矢学という、当時新人だったレスラーも連れて行ってしまった)、藤波は無我として興行を打つことができなくなった。今、藤波がドラディションという団体で興行を打ってるけど、これは無我という名前で活動できなくなったので、その代わり的な感じで立ち上げた団体です。
2000年代の半ばぐらいというのは、所謂新日本の暗黒期で、この頃レスラーのリストラか、それに近しい感じのことが行われたと記憶している。
(新日本は確か年俸制だったので、ぷろやきうなんかでもたまにあるような感じで、リストラでなくとも、簡単には飲めないような契約を提示して退団を促す、というのもあったと思う。この辺はどうだったか詳細を忘れてしまったが)
で、この時ターゲットになったのは中堅どころのレスラー、特に第1試合や第2試合なんかに出がちなベテランレスラーが多かったと記憶しています。
西村もそれで退団した一人なわけですが、この時かなり新日本をはじめ、関係各所を腐す発言をしており、これまでのレスラーとしてのキャラというか、イメージもあったので、なんかがっかりしてしまった覚えがあるのです。こいつブディズム感出してた割に俗物すぎるだろ、と。
ってな経緯を踏まえて、思ったことがある。
藤波ってスゲーよな、よく西村を許したな、と。いや、許したって表現が妥当なのかわからないけど。
1.31の代役で藤波が代役で出るって話を聞いた時点で既に、藤波は器がデカすぎると思いました。私だったら「同じ感情を出して」絶縁すると思ったので。
だから何故、藤波が許せたのか、理解ができなかったのです。もう20年近く前の話というのもあるかもしれないけど。
ただ、これらのエピソードを読む限り、即決したわけではなさそう。悩んだかどうかはわからないけど、さすがに色々思うところはあっただろう。
hochi.news
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そもそもさ、「謝る」とか言うじゃん。
何で「謝りたい」って思うんですかね。
謝ったって、謝られた側が受けた仕打ちが、なかったことになるわけがないじゃないですか。
よくいじめっ子が、いじめた相手に謝りたいとか言うじゃないですか。あれって、謝ったってパフォーマンスをすることで過去をなかったことにするようで、自分一人が楽になろうとしている感じがして、許せないですよね。謝罪を受けたからと言って、謝られた側の記憶がリセットされるわけでもなく、明日からいじめの経験がなかったかのように踏み出せるわけでもない。むしろ相手の神経を逆撫でする行為とも言える。
なので謝罪って「自分が楽になりたいだけ」「相手の気持ちを本当に考えているのか」って感じがするような行為だと、私は思っています。謝ったから許してとか、考えが甘すぎると思うのです。かといって謝罪しないというのも、確かに違うとは思うんだけど。
当然、私も長いこと人間をやっているので、謝罪をしなければならない場面がやってくることもあります。その時は「絶対に許されないだろうが、社会的にしないわけにはいかない」という気持ちでしています。
最近の若者にあるような「謝りたくない」ではないです。だって、私が謝罪することで、全てがなかったことになるわけじゃないんですから。私の謝罪という行為は相手にとって本当に益なのか、と悩むのです。まぁ世の中にはさ、相手に頭を下げさせることで悦に浸るような人間もいるけどさ。
私は思ったほど狭量な人間ではないようなので、中には相手が思っているほど、「別に気にしていない」となる場合もあります。
とはいえ、その「別に気にしていない」のハードルが、藤波は低すぎると思ったのです。何でそんなに、寛容になれるんだろうな、と。
時間の経過がそうさせたのかも、とは言いましたが、あの時から今までに色々なことがあったと思います。
西村は大仁田なんかと絡んで(私大仁田があまり好きではないのです…)「プロレスラーとして食っていくのは大変なんだな」と憐れむこともありました。
藤波は、それドインディーのリングだろっていう、小規模だったりローカルだったりなリングにも上がって「あの藤波が、そんなリングに上がるようなレスラーじゃないだろ」と思うこともありました。
たぶんこれらは、新日本にいたら絶対できない経験だったんじゃないかな。新日本プロレスは、プロレス界から見てずっとずっと、高い所にあるから。
今でこそ、新日本のレスラーが高い所から降りてきて、インディー界隈の団体と交流したりっていうのは、よく見かけるようになりましたが、この世代の人たちがインディー界隈と交流するってのは、彼らの全盛期の時代には考えられないことだったんじゃないかな。
そういう世界と交わって、ものの見方が変わっていったのかも、とは思ったりするが、それでもやっぱ許せないものは許せないと思うんスよね。
だからさ、スゲーなって。
こういう話をすると「生きづらそう」みたいなことをよく言われるのですが、ああ生きづらいさ、生きづらいとも。私は貴方のように、気楽に生きられる手段や考え方を知らないから、こうして悩み、理解に苦しんでいるのです。
私とは違う考え方を知って、理解できれば、人生においてもう少し楽になるのだろうかと考えながら、こうした文章をしたためているのです。
最後に。
これは日本特有のアレかわからないけど、死んだ途端にその人のエピソードを美談の方向に持っていこうとしたり、なんか神格化したがるところがあると思います。
あれ、あんまり好きではないのです。美化することが悪いとは言わないけど、それは違うだろ、ってものもあるじゃないですか。特に最近はそんな傾向が強い気がして。
ここらのエピソードもそう。それでも藤波の器のデカさはガチだけど。