ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

その記録はいつまで残るか・残す価値があるか・そもそも残す価値って何だ

Kindle Unlimitedをだらだらと続けている。そろそろやめようか、と思っているものの、いやそろそろ暇になって何か読むかもしれないからと惰性で延長している。しかしサービスは全く利用しない。ダメなサブスクの使い方である。
たまたま他所様のブログにて紹介されていた本をリストに入れようとAmazonで確認したところ、現在Kindle Unlimitedの対象であることがわかり「ならば今のうちに読んでおくかな」と着手した。何故かこの時はフットワークが軽かった。
その本は、延べ3日ぐらいで読み終わった。
難しい内容ではない。サクサク読める。その代わり、読後に色々考える本だと思う。

内容は、今もなお残る、死と向き合った人々の生き様《ログ》から、その人の人生に想いを馳せ、そんな彼らの生き様を踏まえて、彼らの死後残ったネット上の記録―――個人ホームページやブログ、SNSのログをどう扱うべきかを問う、みたいな感じ。著者は葬儀屋さんのキャリアをお持ちのようで、だからなのか知らないけど、ネット上の記録は遺品の一種として解釈されていたように読み取った。この解釈については、個人的には確かに、と思う部分が多々あった。
死と向き合ったインターネット上の記録、というと、闘病記のようなイメージがすぐ浮かぶと思う。確かに、この事例が最も多かったと思う。しかし中には(年齢的に)天寿を全うした方もいるし、どちらにも当てはまらない方もいる。人それぞれ、人生もそれぞれ。だから死もそれぞれ。正直、他者として読んでいても辛くなる生き様の紹介も中にはあるので、精神状態によっては読むのを注意されたし。もしくは、その章を飛ばして読んでも問題はないと思う。


個人的には、IT業に携わるものとして、「彼らの死後残ったネット上の記録、個人ホームページやブログ、SNSのログをどう扱うべきか」の部分がとても気になったし、今も考えている。


ここ何年かの間に、自分がインターネットの世界に初めて触れた時代から既に存在し、インターネットの一時代を築いてきたサービスが続々と終焉を迎えている気がする。Yahoo!ジオシティーズをはじめ、数々のホームページ作成サービスや日記・ブログサービス……ほかもろもろ。
サービスの終了は致し方ない。サービスとはいえ、それはビジネス。儲けにならないことを継続することは厳しい。
そしてこれらのサービスの終了の度、先人がインターネット上に築き上げた、貴重なデータという宝がいともたやすく失われ、それを嘆く声も多い。
貴重なデータという宝、とは言ったものの、もし今も尚その宝を守っている人がインターネット上に存在しているならば、サービスの提供元を変えつつ残ることも有り得るし、実際そうしている管理者様も見かけた。
でも、もし宝を守る人がいなかったら。インターネット上どころか、この次元から既に去っていたら。そしたらもう、サービスと共に消えゆくしかないのではないのではないか。そう覚悟している方も少なくないだろうし、この本の中にもその考えの方はいらっしゃる。
但し、本人が不在だったり、その意思がそこになかったとしても、有志によって守られることもある。本でも、近親者や有志が引き継いで今も公開している例が紹介されていた。
そういえば、こないだこんなニュースを見た。これも、有志によって守られた宝だと思う(作成者は健在ではあるが)
www.itmedia.co.jp
わからん人にはわからんけど、わかる人のは価値がわかる。ここで言う宝とはそんなもんだと思います。


古文の勉強の題材として、昔の人が書いた日記やら和歌やらが取り上げられることがある。どこだったか忘れたけど、千何百年前に描かれた、どっかの寺院の壁の落書きが、今の世になって貴重だとかいって持て囃されることもある。
インターネット上に存在している有象無象は、後年同じように持て囃されたり、ナントカ日記やナントカ和歌集になり得るんじゃないか、と私は思っている。何年かの後に、当時の人々の生活や思想が垣間見られるような、そんな資料になり得るんじゃないかと本気で思っている。そしてこのブログも、そうなるチャンスは全然あると思っていて、時にそれを意識しながら書いている。こんなニッチなジャンル参考になんのかよというのはわかってるし、もっと詳しく、客観的かつ専門的なこと書いてる人や媒体が絶対あるだろってわかってるけどさぁ(爆)
要は、私たちがこうしてインターネット上にアウトプットしているものが、いつの日か民俗学的な対象になるんじゃない?と思っているのです。そしてそれが、サービス終了という理由だけで失われるのは、大きな文化の喪失だと思えてならないのです。


とはいうものの、先にも書いたけど、サービスとはいえビジネス。維持のためにはお金がかかる。持ち主がどこにもいないデータを「貴重なものになるかもしれない」という思いだけで赤字を垂れ流しながら持ち続けるわけにはいかないだろう。下手したらゴミを抱えているだけになるかもわからん。
インターネットにも墓を管理する寺院的なものがあれば、と一瞬思ったけど、結局あれも維持にはお金がかかる。オンラインでもオフラインでも、とにかく「保持する」「維持する」というのは意外と労力とお金がかかる。無料で、いっぱい使えるからピンとこない人も多いかもしれないけど、広大なインターネットの世界も、結局は有限。クラウドとかいって、その気になれば無限に使えそうな雰囲気を醸し出しているサービスもあるけど、自分が持つ必要がないだけど、そのサービスやデータの根底には、やっぱり誰かが維持・管理してくれるハードウェアが存在する。
先に書いたような有志がいて、死後も尚データを、場所(ハードウェア)を変えてでも保存し、守り続けてくれるかもしれない。しかしそれも、絶対に永遠に守られるとは限らない。
では、有志がいなければそのデータは守られないのか?そもそも「守るべき価値のあるデータ」とは何か?
データのジャンルは多岐に渡る。1つの物差しで一概には測れなかろう。だからこのブログだってワンチャン価値があると認められるかもしれない(まだ言う)


守ること・持ち続けることばかりフォーカスした発言ばかりしてしまったけど、中には「死んだら消えてほしい」と願われるデータもあるかもしれない。この辺の故人の遺志の尊重も難しい話だ、と本でも語られている。
ちなみに、本書を読んで初めて知ったのですが、Facebookには追悼アカウントなる機能があり、生前に「死んだらアカウントを削除してほしい」と意思表示できる機能がある模様。
Facebookを使ったことがないのでよくわからんけど、以下を読むと「Facebookがその人の死亡を確認出来たら」削除する模様。それもそうか、Facebookが一個人の死を能動的に把握して削除する判断ができるわけないしな。
babylog.co.jp
そういう機能を搭載しているサービスがあるか知らないけど、何年更新がなかったら削除、みたいなのが「管理人が死んだら削除」の意思に最も沿ってて、動作的にも現実的な機能なのかなぁ。サービスによっては、何年もログインしてないアカウントの棚卸とかやってたりするけどね。


何度も言ってしまっていますが、永遠も絶対もない。有形だろうが無形だろうが、データはいつかは消える。
でも、自分にとって影響が大きいものや好きなものを、なるべく長く残したい気持ちは誰にだってある。
暫くはこの葛藤と戦いながら、最良の形を模索していくんだろうな。


私は、あんなふざけたことを申し上げたが(爆)このブログを残したい……というより、万が一誰かの思い出の代わりにでもなっていたらいいなと、思っています。
貴方の生き様………と言ったら大袈裟だけど、頑張りを、活躍を見ていた人が此処にいますよと。SNS全盛の今じゃ、ブログにはそう辿り着かないかなーとは思いつつ。それに生き様言うても、私が見たのは彼らの人生の、ほんの一瞬ですから。
それでいて、そんなブログを末永く残っててほしい、という人がもしもいたら、嬉しいな。それでも私はしょーもないネタを書いていきますけど(爆)


今のところ、私はまだ死にそうな予定はないですが(爆)何にしても、Kindle Unlimitedの契約がさらに延びることは確定しました。まだ読みたくなる本が実はあるかもしれないから…!(ダメなパターン)