ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

思い出と喧嘩?喧嘩相手がいないんだけど

この記事……というか、記者さんのコラムって感じだが、なかなか興味深い内容だった。私も20年前のプロレスを見ていたからかな。
battle-news.com


20年前というと、プロレス界―――特に新日本が暗黒な状態だった時代だな。この辺の時代の情報ってググってもあんまり出てこないんだよな。新日本なんか、黒歴史だろう。社会的な意味でまずいのでは?って話もあったし…

初めて見たプロレスでは暗黒シャーマンと蛇人間が呪術などを駆使して戦いを繰り広げ、グラビアアイドルなどがディーバとしてセコンドにつき飯伏幸太らが派手な動きを繰り広げていた。「ルールがわからなくてもこれなら面白いものとして取材ができる」と安心してハッスルに行くと、和泉元彌空中元彌チョップを披露し、インリン・オブ・ジョイトイがM字ビターンで会場を沸かせてチケットは完売状態。

ここだけ読むと怪文書気味だが、事実なんだよな(爆)DDTで蛇光が猛威を振るってた頃かな。この文章だと意味不明だけど、DDTは昔からこういう感じだったし、面白かったぞ。ただ、「当時のコンプラが存在しない狂っていたDDT」という評価は草生えるけど、大体合ってると思う(爆)
インリン様とか空中元彌チョップとか、プロレスを全く知らなくても、芸能ニュースなんかで目にしたことある、なんて記憶をお持ちの方もいるんじゃなかろうか。
このコラムを書いた記者さんは、このようなプロレスでも楽しかったと言っている。実際自分も「こういうプロレスもあるのか」「あれはあれで面白い」という感想を持っていた。今もそう思っている。
同時に、この時代ノアにどっぷりだった自分は、

「そんなところに行くな」「これらはプロレスではない」

と怒るプロレスファンの気持ちも、まぁわかる(ここで言うプロレスファンっていうのは、新日本プロレスファンとかノアファンとか馬場全日本ファン*1とか、そういう感じの人種を指しているのではと思うけど、ハッスルはアレだが、少なくともDDTに対しては、インディープロレスを見ていた勢はかなり寛容に見てたんじゃないかな)
そして、

何をやっているのか全くわからず何を痛がっているのかわからない、当時PRIDE担当だった私にとって『なぜグラウンドで殴り続けないのか?』『なぜKOせずにフォールにいくのか?』『なぜ同じような事を毎試合繰り広げているのか?』と疑問は尽きず、大会終わりに口に出た言葉が「こんな魔法も何も使わず戦いもせず、中途半端な事をやってるからお客さんが入らないんじゃないですか?」と・・・当然こっぴどく怒られる事になる。

こうなる気持ちもわかるし、

その1年後、新日本プロレスレッスルランドを開始し、棚橋弘至IWGP戴冠後には「こんなのプロレスではない」「あんなのIWGP王者として認めない」とバックステージで同じ人達が憤っていたのを聞く事にはなるのだが。

この憤る気持ちもわかる。なんか上の「そんなところに行くな」「これらはプロレスではない」とか言ってたのとかみ合ってなくない?という気もしなくもないが、だからプロレスファンはめんどくさい人種なんだって(爆)
ちなみに、自分の中の棚橋のイメージはこの辺りの時代のままずっと変わっておらず、このような批判にさらされる時期を経て、開き直ったキャラクター以外何が成長・変化したのかわからないので、棚橋の評価は低いままです。あと新闘魂三銃士の中では圧倒的柴田勝頼派なのもある。勝頼はいまもすき(爆)


で、これは知らなかったんだけど……確かにノアの情報だけ、プロレスの総合情報サイトみたいな携帯サイトで見れない時代があった気がするけど、

NOAHは突然『Yahooや週プロモバイルを含むオフィシャル以外の全てのWEB&モバイルメディアの取材を禁止する』とディファ有明の駐車場で当日門前払いを行い情報規制を行ったため、NOAHは中で何がおきているのか謎な団体となってしまった。

ただこの情報規制や統制が、過激なNOAHファンを生み出し団体を支え続けてきたのだから一概に悪いことだとは言えないだろう。

そうかもしれないけど、自分はそれだけかなぁ?という気持ちもある。
非常に短い時間だったかもしれないけど、ノアが新日本を追い越していた時期が、間違いなくあったと思うんですよ。もっとも、そのような時代は絶頂から間もなく斜陽になり(具体的に言うと、小橋から先のヘビー級の世代交代に失敗したというか)、三沢さんが亡くなって一気に凋落したって感じだったと思うけど。
この絶頂の時代を忘れられず、凋落を認められない盲目的なファンが、所謂過激なノアファンとやらだったんじゃないかな、という気持ちはあるんですよ。
ノアと新日が逆転していた時期にも、新日本のファンにもそういう感じの人たちって、多分いたでしょ。どこの団体とか、プロレスに限らず、あらゆるジャンルのファンにはいると思うよ。今現在大した根拠も実績もないのに、自分たちが一番、他はクソってひたすら貶めるような人種って。そのファンが、そのジャンルの頂点とかを知ってしまっていたなら、特に。
ちなみに私は、ノア(というより当時地上波を担当していた日テレなのかも)がヘビー級の試合ばっかりフィーチャーする上、そのヘビー級の試合がもっさりしすぎていてテンポが悪く「ノアは好きだけど、こういうプロレスは好みじゃない」という感じだったので、所謂過激なノアファンにはなりませんでした。
なのに何でノアを見続けたかって、それはノアジュニアが面白かったから、やっぱり丸藤とKENTAの存在が大きかったからかなぁ、と思います。一番好きだったのはSUWAさんだけどね(爆)

 武藤敬司はかつて「思い出と喧嘩したって勝てっこない」という言葉を残しているが、丸藤vsKENTAという思い出がある人にとっては技の失敗や衰えを含めても今できる技術で魅せた大きな拍手を送る試合だった。
 だが喧嘩する思い出がない新しいファンにとっては、「何をやってるんだ」と憤る試合であっただろう。それは2006年1月の“セミファイナルであった”丸藤vsKENTAを見て感動した自分が、メインイベントの田上明vs秋山準を見た時に感じた憤りと同じものだと思う。

この記者さんも当時のヘビー級の試合を見て、私と同じような呆れを感じたのかなぁ、と。
にしても、記者さんの評価は厳しいっすね。20年前と同じか、それ以上の動きをしろってのも厳しいだろうけどね。
新日とかノアに限らず、プロレスを見ていて思うのは、「過去に何があったかを全部知ってる前提でストーリーや試合を組むなよ」と。知っていた方が楽しいことも勿論あるけど、知らない人から知れば「オッサン同士がなんかやってる」それ以上でもそれ以下でもないからね。
昔……2005年ぐらいだったかな。ノアが東京ドームで試合をしたことがあったんですが、その試合のメインは、ノンタイトル戦の、三沢光晴v川田利明だった。当時プロレスを見始めたばかりの自分は、このカードにどれほどの価値があるのか、全く理解できなかった。いやかつてのプロレス四天王がまた戦う、ってのは理解できたけど。で、実際の試合も、別に面白くなかった。ノアのヘビー級特有の「もっさり」だったと記憶している。
もし先日の丸藤vsKENTA戦が面白くないという人がいたら、それは私がかつて、2005年の三沢vs川田戦を見た時と同じ気持ちなんだろうと思う。思い出を持っている人には楽しい試合だけど、思い出の無い私にはつまらないと。
それってさ、もうしょうがないよね。ファンが世代交代したとか、初見かプロレス歴の浅いファンが増えたとか、プロレス自体の価値観が変化したとか、選手に直接的に関係ない、リング外の諸々の要素も関わってくるだろうから。
団体としての歴史や、選手としてのキャリアがある以上、思い出というのはどうしても付き纏う。でも、その試合の価値を「思い出ありき」にしてはいけないと思う。「思い出と喧嘩しても」とはいうが、プロレスの会場には、試合を見る者には、その喧嘩相手が存在しない人も数多いるんだろうから。


思い出に頼った大会やカードを組むのが悪いとは言わないわ。自分だってそれで楽しむ時だってある。
でも、いつまでもそれに引きずられてはダメだと思うんだよな、特にノアは。昔の人の思い出を擦り倒した結果が、一時のノアの凋落と、ひいては三沢さんの件でしょ、と思うもので。
新日本だって、脱・猪木で盛り返したでしょ。その割に亡くなった途端に神格化して、なんかアレだなと思ったけど。

*1:この時代は武藤全日本だと思うが、あそこら辺の客層の感覚ってよく知らんから何となく区別する。