ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

早稲田ラインがアツすぎる件について。

日常ツバメガエシ様より。僕たちのプレーボールの連載のアレです。っていうかちゃんと産経のサイトに載ってたのか…てっきりYahooニュースだけかと…
日本製紙石巻の後藤貴司君(このチームって後藤君って言うと、少なくとも二人は該当するからな…もう一人はベテランだからアレだけど)のエピソードに胸が熱くなったので、どうしてもここに残しておきたく。川畑△
以下全文。

「プロで頑張れよ」
「そっちも2年後、プロになれよ」
 日本製紙石巻硬式野球部の今年の新人、後藤貴司(23)は、早稲田実業早稲田大学と、同級生としてともに野球の道を歩んできた日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手(23)と、かつてそんな会話を交わしたことを覚えている。
「僕には大学時代、やり残したことがあった」
 だからこそ社会人となって野球を続けたい。それは後藤の強い願いであった。



「うちはすごく若いチーム。これから成長していくチームだぞ」
 昨年、早稲田大学4年生だった後藤は、早稲田の先輩で日本製紙石巻野球部の川畑依啓(よりひろ)(27)からそんな説明を受けた。
 後藤は平成18年、あの夏の甲子園で“ハンカチ王子”こと斎藤佑樹投手を擁して全国制覇した早稲田実業の主将で四番。斎藤ら同級生9人と早大に進学、野球部に入った。
 鳴り物入りの入部。
 1年生から期待されてベンチ入り、2、3年生のときはレギュラーで活躍。ところが4年生のとき、暗雲がたちこめる。
「野球が楽しくなくなって…。同級生もひとり辞め、ふたり辞め、結局4人になっていた。いま考えると“燃えつき症候群”だったのかもしれない」
 注目を浴びた優勝チームの主将だったこともプレッシャーになった。「それを超えるだけの根性がなかったし練習もしなかった」
 後輩にレギュラーの座を奪われ、出番は代打。
 しかし後藤は野球をあきらめなかった。「もう一度初心に戻って頑張ろう。そう決心してからはがむしゃらに練習しました」
 東京生まれ、東京育ち。華やかな大都会で大学生活を送った後藤だったが、木村泰雄監督(50)からの誘いに、ためらうことなく石巻で野球を続ける道を選んだ。川畑のひと言も決め手になった。



 9月、都市対抗第2次予選東北大会で敗退した日本製紙石巻野球部は、来季に向けて、新体制で新たなスタートを切った。
 新キャプテンには内野手の小池拓矢(26)。副キャプテンには同じく内野手の住川勇貴(24)が就任。「社会人のチームは、高校、大学とそれぞれ経験とやり方の異なる選手が集まっている。それが一つのチームになるよう、野球に対する僕の姿勢を見せることで、まとめ、引っ張ってゆきたい」。小池は抱負を述べた。
 震災を経験したチームは都市対抗出場こそ逃したものの、精神的にひとまわり成長した。20代前半の選手が大半を占める若いチームにとって、選手たちそれぞれが野球をすることの意味、地域への思いや感謝を問い直した時間であった。
 この季節、石巻郊外の河南球場は夕方にはぐっと冷え込む。来年の都市対抗予選まで、チームにとって、長く厳しい日々が続く。しかし全体練習のあと、夜遅くまで残って黙々と個人練習に励む選手たちは後を絶たない。そのなかにはいつも後藤の姿がある。「千回、バットを振っている日もある」と木村。
 10月4日、日本製紙石巻プロ野球楽天イーグルス二軍との交流試合で2−0の完封勝ちをおさめた。たたき出した2点は後藤の2ランホームランであった。