攝津、攝津、雨、攝津──見出しにはならなかったが、当時、JR東日本東北(仙台市)が大会に出場すると、それが都市対抗のような大きな大会ほど、試合のたびに「攝津正」が先発で登板してほぼ完投。勝ち上がった次の試合では、今度は勝負どころのリリーフを受け持って、おっとり刀でマウンドに駆けつけたものだった。
もちろんチームには、ほかの投手がいないわけではなかった。しかし、攝津ほどの精緻なコントロールと安定した実戦力を備えた投手はなかなかいない。おのずと、「攝津依存型の投手編成」になったのだろう。
こういうチームは今でも結構あると思いますよ…特に選手層の薄いチームはどうしてもそうなる。
2004年頃のグランドスラムが手元にあるので、JR東日本東北の選手名鑑をちょっと見てみたけど、私は当時の社会人野球を見ていなかったのでアレですが、投手に関しては正直攝津以外誰もわからないという感じの顔ぶれでした。
それに短期決戦を強いられるトーナメントで戦ってるんだから、当たり前だよなぁ。
社会人野球では高校野球のように選手の将来を考えた選手起用をする必要はないんですし、そもそも高校生の部活動という側面を持っている高校野球と、お金を貰って仕事としてプレーする社会人野球とでは、根本的なところが違うと思うのです。
ある社会人の野球部の監督が「元気な2番手よりも疲れたエース」と仰っていたのだけど、私はこの考え方を支持します。これで都市対抗優勝したという実績もあるんだから、尚更。
国際試合であるワールドカップで投げたら147キロを出したって……やっぱりなって思いましたよ。先のことを考えずに、1試合勝負ってことになれば、140キロ後半ぐらいは出せる。それを日本では見せられなかったんですね。
そうなの?
この記事だけ見ると、都市対抗とか日本選手権だけ見て判断しているような感じがして、実はJABA大会では結構球速出てた、とかあったんじゃないの?と思ってしまうんですが…
社会人野球でもプロ野球のスカウトに見初められるための野球がしたいのよ、とかそういう思考の選手がいるんだったら、話は違ってくるけど。
でも最初からプロ野球を志して社会人野球にやってきた選手って、大半が願いを叶えられず、社会人野球でも名声を得ることができずに頓挫して静かにグラウンドを去っている気がする。何でかしら。