ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

私はこうしてプロ野球をクビになった

なかなかこうバズりそうな見出しだよね。文才があるならば、やはりタイトルをつけるのも上手いな。
www.itmedia.co.jp
著者を見て、「何でこれがIT系ニュースサイトに載るんですかねぇ…」と思ったのは私だけではないはずだが、カテゴリーがビジネスなのもあって、ビジネスマンとして参考になる内容が多い。内容はいいし、文章も読んでて疲れるような文章ではないので(あっという間に読み終わるぞ)、ぜひ一読あれ。


それにしても、高森が野球選手として最も試合に出ていた頃によく観戦に行っていたせいか、懐かしいエピソードがいっぱいだなぁ。
高森が一軍登録されて初めてハマスタで出場した試合も観に行ったな。初めての一軍の試合なのに堂々とプレーしていたのはよく覚えている。そんな中で当時最も印象に残ってたのは、どの試合でも必ず足を運ぶ熱心な高森ファンがいて、その人がやはりそのハマスタの試合にも来ていて、二軍の試合の時と全く同じスタイルで彼を応援していたことですね。二軍でははっきりと聞こえたその応援の声も、一軍の外野スタンドでは他大勢の応援の声で完全に掻き消えてしまっていて、一軍と二軍はあまりにも違いすぎる、と感じた1コマでした。あの人は今何をしているんだろうか。


スカスタのファン感謝デーに佐伯さんが来てくれた件もよく覚えている。だって現地に行って見たもの。こういうところに顔を出してくれる辺りが佐伯さんらしいなぁと思ったのと、何でこのチームは佐伯さんを追い出したんや…という怒り・悲しみ・呆れでいっぱいだった。ちなみに私はこの年でプロ野球の二軍観戦からアマチュア観戦にシフトしていて、プロの試合はほぼ観に行ってなかったのですが、その私ですら心が動いたのだから、実際に一緒にやってきた選手たちに与えた影響は絶大だったんだろう。高森が文中でこう語るのもわかる。


呉本の名前も懐かしいね。シーレックスでは呉本が四番、高森が五番だったことが多かった気がする。イースタンはDH制があるから、どっちかがファーストに入って、どっちかは指名打者で出ていたと思うが、二軍なので毎日色んな選手が入れ代わり立ち代わりでスタメンに入る中、少なくとも2009年については、高森はほぼほぼファースト固定で毎日出てたんじゃないかな。んで、三番とか六番とかその辺の打順に北君とかKJが入っていたと思う。もう10年も前のあやふやな記憶で書いてるけど、本当に懐かしいね。


そしてこの文章。これはプロ野球選手だけではなく、全ての野球選手、全てのスポーツ選手、むしろ一般人全てに言えることなんじゃないかな。

試合に出られないことに不満を言わなくなった。現状を受け入れ、できることに集中し、実行した。その結果、徐々に試合に出るチャンスが増えていった。「試合に使え」と分かりやすく不満を漏らせば漏らすほど、試合には使われなくなり、使われないことを受け入れ、サポートに徹していると、試合に使われ始めた。この年は、こんな不思議な力学を、体験した。

人は、不調の時、不振の時に本質が見える。その時にいかに頑張れるか、一生懸命になれるか、現状を受け入れ、目の前のことに集中できるかということ。

この記事は高森の著書の内容を転載しているとのことだけど、やっぱり高森の本読みたいなぁ。紙媒体だと持ち歩けないし汚しちゃうし、電子媒体で買うべきかなぁ…でもぼくのスマホクッソ性能低いのよね、と悩んでいるところなのです。つまらんことで悩んでいるんだけど…

俺たちの「戦力外通告」

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