ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

赤の他人を「許す・許さない」の話をするのがナンセンスな気もするが

時間があったので、ちょっと目を通しました。
bunshun.jp
読んでいて思ったのは、彼を罵る人・未だ彼を許さない人は彼を「試合に勝つためのピース程度にしか見ていない人」なのだろうなと思う。
例えば、自分が好きな選手や思い入れがある選手が全く同じことをした時、彼に対するそれと同じように常に罵れるか。許さずにいられるか。厳格な正義感を向け続けることができるか。
私は「No」だと思います。どこかで許してやりたいだの、禊の場を与えてやりたいだの、よく言えば優しい、悪く言えば甘い気持ちが出てくると思います。
この辺のわかりやすい例は、清原だと思います。彼のやったこともそれなりなのにも関わらず、許せという声が多かったり(単純に声がデカいだけかもしれないけど、いずれにしても同じことですが)するのは、そういうファンが多い(もしくは声がデカい)からなのではないですかね。今年清原の記事が色々書かれたと思いますが「こいつを許すな」みたいな論調のものはなかったんじゃないかと思います。全部の記事に目を通したわけじゃないけど。あったら読んでみたいな。その筆者の思想に興味あるんで。
…とか考えてたら、このコラムと同日にニュアンスの似た記事が書かれていたようだ。
bunshun.jp
正直、清原の場合は「運が良かった」と思うよ。あんなに沢山、社会的影響力のある人が手を差し伸べてもらえることはない。そういう人たちと巡り合えたのが「運が良かった」……と思うのだが、これ以上喋ると話がずれていくのでやめる。


私は「好きな選手だろうがスター選手だろうが甘やかすな」とか、そういうことを言うつもりはないです。
一生許さないならそうすればいいし、応援するなら、茨の道かもしれないけどもそれでいいんじゃない、と思います。彼らは、社会からの然るべき罰はもう与えられています。許す・許さないってのは、あとは個人の感情だけの話ですし。だから

許してくれない人もいるだろうけど、応援してくれる人も絶対にいる

んですよ。


ちなみに、私は彼に対しては「よく平静を装えるな」と感心しています。あんな中に晒されたら普通しんどいで。私だったらそっとフェードアウトするね。