ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

あっ、これかぁ!

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こないだ見たベイス‐広島戦って、ベイス主催の東京ドームでの試合だったんですけど、そこで東京ドームの天井は見えにくい、という話題になったんですよ。
この試合の実況だった上野智広アナが「昔、東京ドームで西崎がノーヒットノーランまでもう少しというピッチングをしていたが、東京ドームの天井の見えにくさが原因で野手が落球し、ノーノーを逃した試合を実況していた」という話をされてたんですよ。
この西崎とは、昔日ハムにいた西崎幸広のことで(試合中は「西崎」としか言ってなかったけど、この西崎以外思いつかなかった)、どの試合だったのか、ちょっと調べたら出るかなーと思ったんですが、西崎は別な日に本当にノーヒットノーランを達成していまして、あーこれは調べるの無理だな、と思って諦めていました。
というところで、この記事の登場ですよ。

東京ドームで行われた1995年4月22日の試合だ。この日は14時開始のデーゲームだったが、西武打線は先発した西崎の前に7回を終わって四球2つのみ。残り2回で安打を打てなければノーヒットノーランの屈辱を味わってしまうところだった。そして迎えた8回だ。先頭のデストラーデがセンターへ平凡なフライを打ち上げた。しかし、中堅手の大貝恭史が打球を見失い三塁打。西崎のノーヒットノーランは夢と消えてしまった。それどころか西崎は続く鈴木健を歩かせ、垣内哲也に同点3ランを浴び、勝利まで逃してしまったのだ。

ノーノー逃したどころか負けるとは、今見ても(ノ∀`)アチャーな展開の試合だったのですね。
んで、4月の14時開始の試合で、8回まで試合が進んでたとなると…たぶん15時~16時ぐらいの出来事なんだろうけど、真昼でないのに見えづらかったってことですよね。昔の東京ドームは、今よりも天井が白くて見えにくかったらしいですが……今は経年劣化で色がくすんでるんだろうけど、それでもまだ見にくいですけども…
にしても、本当にノーノーを達成したのは同年の7月5日なので、西崎は1年に2回ノーノーを達成したかもしれないぐらいにすごかった、ということになるのですね。


なんかそういうの多いね、と一瞬思ったけど、どうやら西武の西口のアレとごっちゃにして考えてたみたいです。
西崎は晩年は西武にいて、私も西武にいた頃に西崎が投げているのは見たことがあるので、そのイメージのせいか、西武はそういうのが多いなーと何となく思っただけでした(西崎が日ハムにいた頃は、まだ野球に目覚めていなかったでな…)


ちなみに上野アナからこの話を聞いた、解説の佐伯さんは「ボールが見えにくいと語ろうとしたのに、まさかそういう試合を実況していた方が目の前にいたとは…」と、なんとなく悔しがっているように聞こえました。そうそう、上野アナは元々文化放送のアナウンサーだったそうですので、この辺の試合に立ち会っていても何らおかしくはないですやな。