ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

日本製紙石巻野球部のいい話。

日常ツバメガエシ様より。こういう話にとても弱いのです…
そうそう、小野寺さんって去年の都市対抗で打ってたし、守備でも確かファインプレーがあったんだよなぁ。
初めて見たもので…この人すごいなぁ、来年も見たいなぁって思ってて。なので、今年退部したって知った時は、かなりショックだったのです…

家に帰って子供たちに「お父さん、野球やめるよ」というと、地元の少年野球チームに所属する小学校4年生の長男、大輝(10)は「これからは、僕の応援をする番だね」と言ったという。

これから寝るっちゅーに、俺の涙腺を攻撃するのはやめろ!(;∀;)(;∀;)(;∀;)
Yahooだといつか消えちゃいそうなので、以下に全文掲載します。元ネタの産経新聞の記事はちょっと見つからなかった…

「野球は楽しかったし、大好きだった。でもスパッと終わったとき、新しい人生が待っていると思った」



 元日本製紙石巻硬式野球部のピッチャー、深澤誠(27)は笑顔を見せた。工場のブルーと緑の作業着が、鍛えられた肉体になじんでいる。



 深澤は今年9月、6年間の社会人野球生活にピリオドを打った。大学卒業後、日本製紙石巻に入社。野球と仕事の両立に命を燃やした20代だった。



 監督の木村泰雄(50)から引退を告げられたのは都市対抗第2次予選東北大会で敗退した後。「正直、自分としてはできる限り野球を続けたい気持ちはあった。でも一昨年、肩をこわし、去年から今年にかけていい結果を出せなかったので仕方がないと思った」と打ち明ける。



 「野球をやらせていただいて幸せだった。いまは逆にすがすがしい気分です」



 選手の引退は自分で判断する場合もあれば、監督から告げられる場合もある。企業は毎年のように新しい戦力を補充する。



 学生野球であれば何十人でも抱えることができるが、企業チームは経済的な理由で上限が決まっており、毎年何人かが勇退していく。



 監督の木村自身、大学卒業後、静岡県富士市大昭和製紙で選手として活躍し、31歳で引退。ユニホームをスーツに着替え、監督に就任するまでの16年間、サラリーマン業に専念していた。



 小野寺尚人(32)が野球部の部室にやってくると、後輩たちがうれしそうに次々とあいさつに現れる。周りに笑いが絶えない。明るいキャラクターは誰からも好かれる存在だ。



 小野寺は昨夏、日本製紙石巻が創部以来初めて都市対抗本戦に出場した際、4番を任されていた。前年までキャプテンを務めていたほど人望もあった。



 しかし昨年12月、自身の判断で突然、引退。東京ドームで行われた都市対抗では二塁打を放つなど大活躍、まだまだやれる力がありながらの決断だった。



 「去年で一線を引こうと前々から思っていた。チームとして、どんどん若い子も入ってきたので、そろそろ入れ替えの時期かなと。これまでは都市対抗に出場するのが目標のチームだったが、いまは都市対抗で勝つのが目標のチーム。だからこそ邪魔になる前にやめようと思った」



 一昨年は七十七銀行の補強選手に選ばれ、チームからただ一人、都市対抗本戦に出場している。補強選手とは都市対抗独特の制度で、同じ地区の他チームから、欲しい選手を補強すること。「補強選手のときは、うちのチームの恥になってはいけないという気持ちが強かった。でも去年、チームで行ったときはひたすら楽しかった。最高の気分だった」



 家に帰って子供たちに「お父さん、野球やめるよ」というと、地元の少年野球チームに所属する小学校4年生の長男、大輝(10)は「これからは、僕の応援をする番だね」と言ったという。



 遠征やキャンプで家を留守にすることが多かった。家族をどこかで犠牲にしているという負い目もあった。「去年ドームに行ったとき、家族みんな見に来てくれて、ようやく僕の野球を認めてもらえたと思った」



 野球に未練はなかったが、東日本大震災が起こったことで考えが少し揺らいだという。「両親と祖母は被災して仮設住宅暮らし。もし野球をやっていたら、僕の試合を見ることで励みになったかなと思う」



 11月18日。深澤は一昨年から交際していた犬飼有紀子(26)と結婚する。正月に「幸せな家庭を一緒に築いてください」とプロポーズした。新しい生活がスタートする。「チームがまだまだ弱くて大変な時代を乗り越えてきたことは、今後の僕の自信になるような気がします」