ぶれいどきゃっちゃー

社会人野球が好きな人が見たり聞いたり考えたりしたことを書いています。

「そっか」

東京都企業春季大会のことが公式にうpされてたんですけど、選手名簿も載ってたので目を通したんですけど、

手錢君の名前がなかったのです。
いや、いずれ来る日が今来たという感じなので今更感情を乱すまでもないのですが…………それにもう、選手として引退して日も経ってますから、尚更。だから選手名簿を目の当たりにした感想は、なんか詩的な言葉を浮かべるでもなく「そっか」と。すんなり受け入れられたというか。
でもやっぱり、こう……それでも思うところはありますね。短い時間だったかもしれないけど、その足跡を追いかけたつもりでいた選手なので。


かつてはこのような特集記事めいたものも書きましたが、大学時代はブログにもあまり書かずコソコソと追っていましたが、社会人の頃は堂々たるテゼニストしてましたので(爆)変に勿体ぶることなく写真を色々うpしてきた……はず。
というわけで、今まで書いた観戦レポを振り返って思い出に浸りたいと思います。


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社会人野球の公式戦デビュー戦。それが見たくてこうして行っていたわけだけど、本当にその機会に巡り合えて運が良かったな。
そんな場にいられた上に良い結果も得られた。ただただ、嬉しかった。
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初スタメン。当時の『私の目標だった「手錢君スタメンかつフルイニング出場で勝つ試合を観る」が達成されました。』という言葉が全てではないか。ハードル低いとか言ってはいけない
推しの姿を一瞬見られるだけでも嬉しい。でも願わくば、試合が終わる9回3アウトまでグラウンドの上にいるところを見たい、という欲望がほぼ完璧に叶った試合。見れさえできるなら、場所も相手も何だっていい。
…そういえば、まだこの時代は「推し」なんて単語はなかったんじゃないかな。なかったか、浸透していなかったか。いつの間にか時代が進んで便利な言葉ができたなと思います。
あと、この翌年から手錢君は外野にコンバートされたので、思えばこれが、私が見た最後の、キャッチャーとして試合に出ている姿でした。
まぁどこにコンバートされようが、そこにいる限り観に行くわけですが。
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すごい写真撮影に力入ってますね(他人事)
そりゃあ、一瞬しかないかもしれないかっこいい姿を捉えて保存したいって気持ちがあったもので、割と毎試合必死でした。
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てぜんとてぜんの邂逅の瞬間。純粋に追っかければいいのにどうしてもネタに走りたくなるのは性癖です。
…でも、結局この1試合しか見られなかったな。意外と日通との対戦機会自体が少なかったような。


それにしてもだ。
この通り私には推しの選手がいたわけですが、だからと言って相手チームを敵視しているとか、推しのいるチームの勝利だけを願うなんてスタンスではなくて、面白ければ何のチームでもOKだと思っています。それは今でもそうだけどね。
だからですね…対戦相手が濃いとそっちに気を取られてしまったりしましたね…
・濃い対戦相手その1
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・濃い対戦相手その2
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・濃い対戦相手その3
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というわけで思わぬ収穫を得た試合にも多々遭遇しましたが、こんな感じで手錢君目当てだけで行ったつもりが、他にも色々得ることができたことが多くて、ある意味様々な試合を観に行こうって気持ちを焚きつけてくれたきっかけとなっていたのかもしれません。
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オープン戦で、特に地方の大学の選手は名前を把握するのが大変なので、予定を知っていても観戦を避けることが多かったのですが(大学のホームのオープン戦だと、メンバー表をくれるチームもありますが、社会人はそうではないので…)良い選手がいるんだってのを知る機会になりました。ここで行かなきゃ、全日本や神宮大会ぐらいでしか機会がないし、必ず来るとも限らないし何年後かもわかりませんから。改めて、見れるものは見れる時に見とこうという教訓になったかな。
そして手錢君を観るために、物理的に行けそうな場所は予算と有休の許す限りどこへでも行きました。
九州にだって行きました。これが人生で初めての九州上陸でした。その気になれば私は知らない土地にも行けるし飛行機にも乗れると分かりました。その前に別件で高知に行っているので、この時の飛行機は人生二度目だけど。
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あ、そうそう。この時確か退職したばっかりで無職でした。
それはさておき、この九州遠征は本当にいい思い出だった……なんかこのレポ全体的にテンション高いもん。よっぽど楽しかったんだろうな(他人事)


でもね、楽しいことばかりじゃなかったよ。
自分の中で推しという存在は神格化しがちですが、当然ながら人間ですので完璧なはずはなく、悪い出来事にも遭遇したりします。
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全部が全部自分にとって都合の良い試合になるはずがない。それが勝負だからね、仕方ないね。
でも他人のやらかしを目の当たりにすると、胸が痛いね。自分のやらかしは「まいっか」で適当に片づけられるけど、他人の、それも気にかけてる人だと「あの時…」みたいなのをずっと考えちゃう。考えてもしょうがないのにね、わかってるんだけどね。




とかなんとか昔の出来事を振り返ってみましたが、思ったよりも結構見てたな、と思いました。
これだけレポを挙げましたが、他にも手錢君が出場した試合はもう少し見ましたが、明安の試合自体はその倍以上は観に行ったと思います。今日出番あるかも…!と期待して観に行って、やっぱり出番なかったかー、と思いながら帰ることが多く、遠征して全く試合出場がなかった、なんてこともありました。そういう出来事が、ここで挙げたレポの倍ぐらいの数あったわけです。
とはいえ、推しが出なかったからこの遠征・この試合には価値がない、なんて思ったことは一度もありません。クソ試合の連発だったら思ったかもしれませんが(爆)そんな遠征は私の記憶にはありませんし、他にも面白かった試合のことはいくらでも挙げられる。全てが野球観戦旅行の思い出となっています。ただちょっと、出掛ける前の想像と思い出の形が違っただけで。


選手として試合に出ているのを最後に見たのは、この試合かな。
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写真がないのは、納得いくものが撮れなかったんでしょう…普段レポを書く時も大体そんな感じです。
最後に姿を見たのは同じ年の日本選手権だけど、当の手錢君の試合出場はなかったからね。
でもこの時人生で初めて京セラドームに行って、推しのプレーシーンを見れずに終わったわけですが、なんか悔いは残らなかったな。
というのは、昔ある選手のファンであったんですが―――多分この話前もしたな。まぁいいや―――その選手は都市対抗で大活躍した(と私は思った)にも関わらず、年齢的にも30ちょい過ぎぐらいでまだまだこれから、としか思えなかったところで突然引退して、社会人野球を見始めて間もなかったのもあって、深くショックを受けました。これが2011年の話で、この時都市対抗は京セラドームでの開催だったのですが、当時京セラドームは大阪で遠い…ということで断念していました。その結果、所謂推しの最後の姿を見逃すことになったのです。しかも毎試合出てそれなりに活躍もしていたというのに。
この反省から、行ける試合は躊躇せず観に行くべしと教訓として刻んで、遠征に励むようになったのですが……試合に出なかったとはいえ、時を経て、新たな推しの最後の姿を、その京セラドームで見納めたというのは、何となく因縁に決着をつけた感がありました。だからなんか、後悔なくスッキリできたのかも。もっと試合に出てるところを見たかったなんて欲を挙げたらキリがないよ、勿論。だから、私はこれでいいんだ。


その後手錢君は引退して、裏方としてチームに残ったため、写真に姿を収める機会はほぼなくなりました。
そんな時に満を持して得た機会がこちらなんですが。
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我ながら何やってたんですかね(賢者モード
いや私の中の青写真ではね、ここにも書いてあるけど城下さんが胴上げされてたアレのイメージだったの。本気でああいう感じの画が撮れると思ってたの!
私のネタとしては面白いほうに入ると思いますが(爆)もうちょっとかっこいい写真で締めたかったな、という点では悔いが残ります。もうね、こういう時に笑いに走りがちな性分って損すると思うわ。




少し前に、大学野球の選手のエクストラステージの話をしたと思います。
私が初めてエクストラステージの存在を感じたのが手錢君でした。かの記事を読んで察せられるかもしれませんが、本当にあれが、2013年が最後だと思っていて、もう二度とこの選手を見る機会はない、だからこれは最後の思い出だ、という気持ちで綴ったものでした。綴った言うても、写真貼りまくっただけやね。
そう思っていた選手を、まだ見れる!―――進路を知った時のあの、部屋中をのたうち回りたくなるほどの興奮を何と表現したらいいのやら。
それで1試合でも多くユニフォーム姿を見れたら嬉しいと思っていたら、気づいたら5年も追いかけることができていました。裏方としてのキャリアも含めると、もうちょっと長いか。
社会人野球の選手寿命って、平均はわからないけど一般の想像よりもずっと短いと思います。プロ野球選手と同じ感覚で見ていると、30歳ぐらいだとまだまだこれからな年齢と思われるかもしれませんが、このぐらいの年齢まで現役を続けられたら割と幸運なほうではないかと思っています。早いと2年で引退する選手もいます。それには健康上のことであるとか、個人の人生設計とか様々な理由があると思います。
そういう世界で、毎試合出るような選手ではなかったけど、こんなに長い時間、一人の選手の活躍を楽しみに日々を追えた幸せなことだと思います。本人は満足のいく成績を残せた、とは思っていないかもしれませんが、勿論活躍してるところを見られたらファン冥利に尽きたけど、でも元気そうな姿を目の前で見れるだけでね、嬉しかったんですよ(親の心境)
先にも書きましたが、推しの活躍をその目で見れたかどうかはさておいて、その間色々な場所に行って、色々な試合を観て、色々な経験をして色々な思い出を作ってと充実していたように思います。だから以前触れた、この佑ちゃんマダムのコメントにはめちゃくちゃシンパシーを感じたわけですね。
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あとこれはすごい私事なんですが、ちょうど手錢君が現役の間、体を壊していまして、日によってはまともに起き上がれないこともありました。
今では寛解して薬も手放しましたが、それができたのは「体を治して手錢君が活躍するところを観に行くのだ」という執念があったからだと思います。
同じ病状の人と話す機会がいくつかありましたが、私のように「何かのために病気を治す」みたいな情熱を持てるのはレアケースっぽいです。皆趣味とか、好きなものとかは持っているはずですが、そこまでじゃなさそうというか。私の気の持ちようがおかしいんだろうけども。
自分で書いててストーカーみたいで気持ち悪いんだけどさ(爆)でもそこまで見たいという選手や試合の存在がなければ、私は治療を頑張れなかったし今此処にいないと思いますので、そういう意味でも感謝……かな。別に何かしてもらったわけじゃないし、感謝という言葉は私の勝手すぎるというか、押しつけがましい感じがして、表現したいニュアンスとちょっと違うんですが、他に適切な言葉が思いつきませんでした(語彙力死亡)




なんか色々書いてたらえらく長くなってしまいました……時が流れて私も年寄になりましたからね、しょうがないね。
こんなことを考えながら綴った時間もまた、思い出の一つです。今度こそ、ここまで追いかけたいと思える選手にはもう、出逢えないような気がします。何故この選手がこれほどまでに推しだったのかなんて、今更理由を表現できないもの。
とにもかくにも、長い間ありがとうございました。
そして今度こそ、お疲れ様でした。